ホイッスル製作を手掛ける亀有の「野田鶴声社」(葛飾区亀有3)は4月、主力のホイッスル製造開始から40年目を迎える。
同社は1917(大正6)年に創業し、戦後に台東区から亀有に移転。主な製造品は海外への輸出用ハーモニカで、戦後も生産を行っていた。二代目社長の野田員弘さん(78)は「戦後すぐは材料になる鉄板が不足し、進駐軍の缶ビールを解体してハーモニカを作った。ハーモニカの内側には印字されたものもあった」と当時を振り返る。
同社のホイッスルは真ちゅう製で「オリジナル4層構造」「高精度加工」「オリジナルコルクボール」などの加工技術に定評があり、広く広がる高音が特徴で、大きなスタジアムでも良く響くことから好評を博した。
1971年のニクソンショックでドルの変動制が始まったこともあり、その後はヨーロッパを中心に野田鶴声社のホイッスルが活躍した。主な輸出先はフランスで、フランスの国家警察やパリ市警の警笛などの生産を受注。最盛期には年間80万個の生産を行ったこともあった。
同社のホイッスルは1978年のワールドカップアルゼンチン大会から使用され、サッカーホイッスルとして世界的に有名になった。大きな会場でもホイッスルの音は響き渡り、世界中の審判に重宝がられた。「イタリアやイギリスにもホイッスルメーカーがあるが、野田のホイッスルは少ない肺活量でも響くように設計している。現在ではサッカーだけでなく、中低音が出るアメリカンフットボール用にも生産している」(同)。W杯フランス大会で唯一の日本人審判となった岡田正義さんも、同社のホイッスルを愛用するひとり。
現在は円高の影響で輸出量が減っているが、スポーツブランドやメーカーのOEM供給などが主になっている。「以前はイギリスの大手メーカーが世界中で販売されていたが、高い技術を持つことによって世界に認められる会社になれる。下町の中小企業もオリジナルの技術が世界へ販売する方法を見つけていければ、きっと活路があるはず」と後輩企業へエールを送る。