12月17日から浅草寺(台東区)境内で行われる羽子板市の準備を進める南川人形店(葛飾区高砂3、TEL 3657-3975)が生産・出荷のピークを迎えている。
羽子板は「邪気を跳ね返す板」として女の子の成長からを願う風習から来ており、「景気を跳ね返す」という思いや、その板の末広がりの形状から縁起物として江戸庶民に親しまれ、現在のような浅草の羽子板市は明治中期、毎年歳末に行われる浅草寺「歳の市」の主要商品として販売されていたのが始まりといわれている。
羽子板の製作現場はかつて下谷周辺の下町に多くあったが、戦火で焼け出されてしまい、その多くの人形店は埼玉近郊に避難した。南川人形店も創業時は墨田区の駒形にあったが、東京大空襲を境に現在の高砂に避難。二代目になる南川行男さんは、戦後から人形師になり現在で70年近くのキャリアを持つ。
南川さんは「以前ほど羽子板は売れなくなってしまった。羽子板市に来るお客さんが少なくなってしまったせいもあるが、時代のせいか見るだけで交渉しないで帰る人も多くなった」と最近の羽子板市の状況を話す。
「戦後の最盛期のときは、芸者を数十人も連れて羽子板を購入する旦那さんもいた。現在の社長と異なり商店の店主が多く、遊び慣れている人が多かった」(同)と当時を振り返る。「最近ではそうした『粋』な旦那さんが減った。芸者が減ったこともあるが、遊びに時間と金を掛ける余裕のない人が多いのでは。現代の社長は忙しいのでは」とも。
「粋」な男は、時間と金だけではなくて教養も必要だと話す南川さんは「男だけでなく、人間には遊び心と余裕が必要。羽子板市でもまずは羽子板を見るだけでなく会話を楽しんでほしい。何事も人とのふれ合いを楽しむのが粋な楽しみ方だと思う」と「粋」にこだわりを見せる。